
私は上達の一番の近道は『真似(まね)』だと思っています。自己流で腕を磨くより習うほうが上達の近道です。教えてもらうという受け身の姿勢より、盗むという積極的な姿勢のほうが上達の近道です。ということで「師匠を持つことのススメ」。第1回はやっぱり『サービス』!
師匠を持つことの意味
あらためまして、プレゼントワインショップのオーナーソムリエ寺井です。
私は、日本初のデリバリーソムリエ(デリソム®)として独立し、日本初のギフト専門ワインショップ(プレゼントワインショップ®)を運営しており、一風変わったことをしています。
でも、大事なのは基本だと思っています。基本があってはじめて応用ができます。
今年(2019年)引退したイチロー選手、今年日本代表入りしレアルに移籍が決まったサッカーの久保選手、彼らが基本をおろそかにしていると考える人はいないと思います。
今年歴代最多勝に輝き昨年は国民栄誉賞を受賞した羽生善治棋士は、羽生マジックという誰もが想像しない手を指すことで7冠に輝いていた時期もありますが、「将棋は一手だけ良い手を指しても、それで急に状況はよくなりません」と言っている通り、特別な一手に頼っているわけではありません。
基本(ベース)ってとても大事です。時々、基本をないがしろにしてダンクシュートやノールックパスだけやりたい人もいますけど(多くのバスケ初心者はそう?)(^^ゞ
でも、仕事でそれじゃダメですよね。多くの人は「基本(ベース)が大事」は知っていると思うんです。
じゃ、ベースをどうやって作るのか?
基本が大事と分かっていても、これが難しい。
私が若い方にススメるのは「この人の真似をしよう!」と思う師匠をつくることです。その人が一緒の職場にいるならラッキーですが、そうでなく他部署、社外、なんならSNSや書籍で尊敬する会ったことがない師匠でも全く構いません。
その時に1つ約束事として、真似すると決めたら徹底的に真似すること!
ビジネス本では最近の若者は、指示したり教えたりすると煙たがり、逆に言わないでいると何も教えてくれないと言い出すとか(汗)、都合の良い部分は教えに忠実だけど、都合の悪い部分は教えた通りやらないということが書かれています(あると思った年配の方も多いはず^^;)。
上達したい皆さん、受け身ではなく積極姿勢で徹底的に盗むこと!そして、この部分はマネするけど、この部分は自分のやり方でとかでなく完全コピーを目指して盗むこと!そうすると何かが見えてくると思います。
レストランサービスの師匠『青砥 賢二(あおと けんじ)』

私と一緒に働いたことがある人なら、何度も私の“師匠”という言葉を聞いたことがあると思います。ただブログにはそんなに数多く登場していないと思う私の師匠についてご紹介したいと思います。
メインダイニング『ボーリバージュ』での出会い

私の師匠で株式会社アンデルセンの部長(2019年現在)でいらっしゃる青砥賢二氏(以降 青砥さん)は、私がリーガロイヤルホテル広島に入社したときの直属の先輩でした。新入社員である私の教育担当として厳しく楽しく色々なことを教わった先輩です。
私は大卒入社だったのですが、当時のホテルマンで大卒はあまり多くなく、大卒の飲食部門希望者となるとさらに少ない時代でした。なので、私と師匠とは年齢は1つしか変わらないのですが、経験年数に5年の差がありました。
それでも思えば当時の彼は23才。普通ならただの若者でしょうが、今の私が当時の彼を見たとしても、一目置くに違いないと思えるほど凄い人でした。
人付き合いが良く、社内で色々な人と交流があり、レストランで最も多くのお客様とコミニケーションが取れる方だった青砥さん。
当時のホテルのメインダイニング『Beau Rivage(ボーリバージュ)』に青砥さんが異動してきたのは私の入社の約1年前にすぎませんでしたが、既に多くの顧客を受け持ち、どの人も「青砥さん、青砥さん」と呼んでいると感じるほどでした。
社内コンテストで優勝する実力

チームの運営能力にも長け、自身の接客術、デクパージュなどの技術も持っていました。
当時、ホテルではグループホテル全社での社内コンテストがあり(今もあるかもしれません)、レストランサービス部門では、上級と中級がありました。
新入社員だった1年目に私は生意気にも上級を受けたのですが、それらも全て間近で師匠を見ていたからです。
上級は社内でもある程度熟練度のある方が受けるので、当然ながら私はあえなく広島予選敗退でしたが、ただ一人の新入社員での挑戦なのにもかかわらず最下位ではなく、あれだけできるのはすごいという評価をしてもらっていたそうです。これらは全て師匠がいなければできていません。
師匠はというと、その広島予選で優勝し、本選でも優勝しました(24歳の時です)!!本選というと本社であるリーガ大阪のメインダイニングで活躍するウェイターもいるわけですから、地方の24歳が優勝というのは凄いです。
ただ、私の別のブログ記事で書いたことがありますが、デクパージュやフランバージュの技術は接客の一部分でしかなく、手段にすぎません。
しかし、青砥さんは技術だけでなく、サービスマン、ビジネスマンとして尊敬できる方でした。
私と一緒に働いたことがある人なら、サービスマンであることはビジネスマンであるという私の言葉を聞いたことがあるでしょう。
これらは青砥さんの影響が大きいように感じます。
また周囲に多くの人が集まる人でした。根っからのサービスマンで人と話すのが好きなのでしょう。休日も多くの友人とバーベキューをしたりと活発な方でした。人望も厚く、先輩からは頼られ、後輩からは信頼される人です。
私はそんな自分にはない魅力にも惹かれたのかもしれません。毎日のように仕事終わりに二人で飲みに行ってはサービス談義を交わしたものです。
さて、では入社当時に青砥さんのサービスを最初に見たときに「真似したい!」とすぐに思ったかというと、実は違います。青砥さん、すみません。コレ、初めての告白ですね(笑)。
当時レストランにある程度の野心を持って入社した私は“なりたい自分像”が多少なりともあったわけです。これはこのページを見てくれている若いみなさんも一緒じゃないですか?
ただ、それを圧倒するほどに顧客をはじめ周囲から認められている青砥さんを見ることになるわけですから、自分の勝手に思っている“なりたい像”なんて、空想上のものでしかありません。

若い方に伝えたいのは
選り好みせずまずは結果を持っている人を真似する!
ということです。僕流はこうなんだよねは後回しです。あなたが能力があればすぐに完全コピーできるはず。できないなら自分が思っていたより自分の能力が低かったというだけです。
新入社員だった私も、青砥さんのように仕事ができることを目標に毎日の仕事をしました。もともとモノマネは得意な私(知る人ぞ知る情報^^)、数か月もすると先輩たちに「似てるよね」と言ってもらえるようになり、もう数か月経つと、お客様に「寺井さんのサービスは青砥さんに似ているね」と言ってもらえたりするようになります。
青砥さんは青砥さんで私をかわいがってくれていましたが、彼の顧客の方々に「寺井さんが青砥さんに似てきたね」と言われると否定していました(笑)。そりゃ、新入社員が似ていると言われると嫌ですよね^^;
ただ正直、今でも全然追いついていないし真似できていないんですよね…
当時は、そんなこんなで真似をしていると、入社半年でシェフ・ド・ランをさせてもらえることになりました。
ホテルのフレンチ、しかも当時のホテルフレンチを知る方には驚くほどのデビューの早さだと思います!
今でも、当時一緒に働いた先輩方と話す機会が稀にありますが、広島の企業トップの方々もいらっしゃるようなホテルフレンチでオーダーテイカーが24歳(青砥さん)、シェフ・ド・ランが23歳。今の(40代になった)私たちからするとゾッとします(笑)。
※オーダーテイカー(メートル・ド・テル)、シェフ・ド・ランになる難易度は店によりますが、有名店ではそれぞれ10年、5年、場合によってはそれ以上かかることもあります。
師匠の異動

ホテルに入ると、大きな売り上げを持つ部署は宴会場、特にブライダルでした。
今は婚礼そのものが減っていますし、披露宴をホテルでするお客様も減っていますが、やはり披露宴が獲得できるならそれはホテルにとって大きな売上になることは間違いありません。有能なセールスマンはブライダルに必要なのは明白です。
私が入社3年半位の時だったでしょうか、師匠はブライダルに異動になりました。
当時は私がいたホテルのブライダル担当は、
- 訪問客にホテルのブライダルについて案内したりして予約を獲得していくセクション
- 決定予約をAの担当者より引き継いで披露宴の構成など具体的なプランを練っていくセクション
の2つのセクションに分かれていました。
青砥さんは予約を獲得するセクション(つまりA)に配属されました。そして確か1ヵ月目から当時の課長と同じ予約獲得数(もちろんセクションでナンバーワン)だったような覚えがあります。
私は今でも若手に話していますが、ウェイターはサービスマンでありセールスマンであるべきです。
職人であるコックさんやワイナリーが作った商品(100%のもの)を、ウェイターとして120%の価値にし、セールスマンとして販売しなければいけません。これは私が新入社員時から心がけていることです。
青砥さんの異動は、良いウェイターは良いセールスマンだということの証明でもあると思います。
さてそんな青砥さんが異動になる際には、青砥さんの顧客の皆様が連日連夜、ボーリバージュに来店してくださりました。もしも自分がボーリバージュを出る際には同じようになればいいなと思ったものでした。
そしてあれよあれよと出世して20代半ばで課長補佐、29歳で課長になっていました。凄い・・・。
徹底的な真似のほかに

ここまで青砥さんの紹介をしてきましたが、では一体どのくらいの真似をすればいいのでしょう?
四六時中ですよ!
と言えれば、私も大物っぽいのですが、四六時中真似できるにはセンスがいります。私のような凡人にはちょっと無理です。
私としては自分なりの『仕事中は常に』を意識すると良いのではないかと思います。サービスするしぐさ、お客様への対応、言葉遣いなど、仕事中は常に真似です。この『仕事中は常に』なんて出来ないと思う必要もありません。さっき言ったように凡人の私にはどだい無理なので、目標として、意識のレベルとして『仕事中は常に』を持っていればいいのです。
とは言うものの営業が始まるとその意識もつい忘れてしまうものです。でも、なんとなく毎日の目標としてもっていればいいのです。絶対ふとした時に、あ!今の俺、似てる!と感じる瞬間があります。それがあればいいのです。
さて、当時のレストランは封建的なことが多少残っている時代でした。先輩の命令は絶対!の世代からは緩くはなっているものの、まぁ、多少あります(笑)。殴られたりは私の時代はなくなっていましたが、もう少し上の世代はあった時代ですね。
青砥さんが明日起こせよというなら起こしに行っていましたし(同じ寮に住んでいた。そもそも私より朝に強く寝坊することはない。起こしにいっても既に準備している)、飲みに行こうと言われると体調が悪くても行くものでした。ときには、明日お前休みだろ?クリーニング取りに行っておいてとか。
でも、これらを苦に思ったことはないし、逆に青砥さんも買い物に行った際に、おまえにも黒靴下(サービスマンの基本…現代はそうでない人もいて驚く)買ってきてやったよと買ってきてくれたり、前日飲みすぎた日に起こしてくれたり、青砥さんが休みの日に私を車で会社まで送ってくれたり・・・本当に懐かしいです。
九州での約束

そうそう、2015年に北九州の門司で会って、2014年の私が待ちぼうけしたことを笑題(わだい)に飲んだ時のことです。「お前、最近の若い奴にお前がどんだけすごいかブログに書いて見習わせろ(笑)」と言ってくれたことを思い出しました。
2014年の8月の出来事についてです。
その日、青砥さんは九州に出張の予定がありました。ある会合のゲストとして福岡に呼ばれていたのですが、17時で終わるので、それから飲もうと。
私もちょうどワインのセミナーを受けに北九州市から福岡市に出ていたのですが、「でもゲストならそのあとの懇親会とか抜けられないでしょう」と言っていたのですが、青砥さんは「10人20人の会じゃないんじゃけえ、俺程度いなくなっても誰も分からんじゃろー」と言い張ります。
いやいや・・・元ホテルマンならそんなことないこと分かるでしょ!と思いましたが(笑)、分かりました!じゃあ17時に博多駅で待っていますと二つ返事^^;
さて、当日17時に「終わった。ちょっと懇親会に顔を出す」という旨のメールがきました。私も「僕も終わったので博多駅に向かいます」とメールしました。
さて、博多駅についたのでメールすると「もう少し抜けられない」とのこと。はい、わかっています。
特にやることもないので、飲食店リサーチ。博多駅の地下や阪急の飲食店など一通り見て回ります。
2時間経ちましたが、連絡ないので、本屋で立ち読みします。食事しようかなとも思いましたが、せっかくなら一緒に食べたい(青砥さんは懇親会で食べてるでしょうけど)ので、待ちます。
20時になりました。「どうにも抜けられません」と・・・はい。でしょうね。
21時になりました。
「最終に間に合わないのでタクシー呼んでもらった。今、向かっている」
最終に間に合わないのは、うまく言って抜けたのではなく本当の本当に最終新幹線なんです・・・。
最終の10分前くらいに博多駅到着。
私「待ってましたよ~」
青砥さん「ごめんごめん、飯食った?」
私「食うわけないじゃないですか!待ってましたよ」
青砥さん「悪い悪い。飲もうや、新幹線で」
私「はい!って小倉まで15分ですよ!(僕自宅に帰るなら新幹線より高速バスが便利なんだけど…)」
青砥さん「まぁ、そーゆーなや。奢(おご)るけぇ^^」
私「当たり前でしょ!(笑)」
ってことで、新幹線でビール2本勝負って感じでした。
これは流石に広島時代の同僚にのちのち話しても、「いや!ありえん!寺井さん4時間も何もせず待ってたんですか!?」と言いますね^^
で、青砥さんも今でも大笑いして、いやぁ、お前部下の鏡としてちゃんと若手に伝えろよと(笑)。
あ、そうそう、この時、新幹線を降りて妻に「青砥さん結局来なくて、新幹線で10分一緒に飲んだ」ってメールしたら、帰ってきた返事が「一緒に飲めて良かったね」でした。師匠にも妻にも恵まれている私です^^
まとめ~真似をするとどうなるか~

元々のタイトルにもなっている『師匠を持つことのススメ』ですが、真似をするとどうなるのか、肝心の成果を聞きたいですよね。
私の場合
- 半年でシェフ・ド・ランになれた
- 新入社員時に店内イベントで2番目にチケットを売った(当然一番は青砥さん)
- 新入社員時にオーダーテイカーデビューできた
- 新入社員時に初めて来店のお客様に「何年修業したらそうなれるのですか?」と言ってもらえた
- レストランサービス技能士(HRS)という国家資格の2級に一発合格できた
- デクパージュやフランバージュができるようになった
- 2004年退職するDMを出すと約2週間で98人のお客様が来店してれ、来れない多くの方から電話をもらった
ここまでがホテル時代の真似した結果です(22歳~27歳)。その後はというと
- 2004年10月独立することができた(28歳)
- HRS1級に一発合格できた(たぶん30歳?)
- 2011年、技能グランプリに初挑戦。3位入賞(34歳)
- 2018年、北九州市より技の達人の称号をいただく(42歳)
- 2019年もう少しで独立15周年を迎えられそうです(現在42歳)
ときどき思うのですが、経歴を見ると私はHRS試験やコンテストで使うようなサービスってホテル時代のたった4年10か月しかやっていないんですよね(それも毎日ではないし)・・・ほんとに経験不足。
私の世代は、ワゴンサービス、デクパージュやフランバージュはほとんど見ない時代になっていました。
なのにそれを勉強できたのは師匠をはじめ、レストランの先輩方が興味をもって勉強・練習をしてくれていて、そのサービス形式をとらせてくれたシェフやマネージャー、会社のおかげです。
恵まれた環境に今でも感謝しています。
そして、今ではもう真似できていないかもしれませんが、それでも、今でも「寺井の師匠ってどんな人なんだろう、会ってみたいな」と青砥さんのことを思わせられるくらいの評価を自分が受けたいと思っています。それが青砥さんへの恩を返す唯一の方法。
思えば、独りよがりな私が飲食店のコンサルとして、サービスチームを任せてもらい、他店のスタッフと一緒にやっていけるのも、コミュニケーションの上手な青砥さんならどうするだろうと心の奥底では思っているのかもしれません。いつも青砥さんならどうするだろうと思っていればもっと上手くいくのでしょうが(笑)、余裕のない私はふとした時にしか思い浮かばないんです(^^ゞ
なんだか、現代の若手の皆さんからするとちょっと意味不明の話かもしれませんが、とにかく(笑)、師匠を作って徹底的に真似をしてみましょう!絶対に何か変わりますよ!!
青砥賢二と寺井剛史のプロフィール
青砥賢二(あおと けんじ)
1975年6月 島根県浜田市生まれ
1994年 リーガロイヤルホテル広島入社
現在 株式会社アンデルセンに勤務
一般社団法人日本ホテル・レストランサービス技能協会 中国・四国地区 事務局長(2019年現在)
寺井剛史(てらいつよし)
1976年8月 福岡県北九州市生まれ
1999年 リーガロイヤルホテル広島入社
2004年10月 地元北九州にてOFFICE GO SEEを開業
現在 プレゼントワインショップを運営
一般社団法人日本ソムリエ協会 執行役員 山口支部長(2019年現在)
北九州ウェイター向上委員会 会長(2019年現在)
おまけ記事 誰かのためならできること
この記事を書いている人
OFFICE GO SEE代表 / プレゼントワインショップ®オーナーソムリエ
寺井 剛史(てらい つよし)

大学生のころのアルバイトがきっかけでソムリエを目指す。
ホテル入社後、『サービス、接客』の虜に。2004年、日本では珍しいフリーのソムリエとして独立。
多数の飲食・小売店でサービス向上による売上増のコンサルティング事例アリ。
「ワインを贈りたいけどワイン選びが分からない」方のために、プレゼントワインショップを設立。
技能グランプリ レストランサービス部門 全国3位
レストランサービス技能士1級
日本ソムリエ協会認定 シニアソムリエ