技能グランプリ「レストランサービス部門」に今年も出場していた
8/15で45歳になりました。
終戦記念日生まれで広島育ち。
8/6と8/15は子供のころから広島人なら「あ~今日だね」と思う日です。
今年は8/6はオリンピックの報道ばかり。大丈夫か?テレビ局。(元々大丈夫じゃないか)
さて、実は私、今年もウェイターのコンテストにエントリーしていました(3月)。
過去3度、決勝に進出するも、3位、3位、敢闘賞(4位みたいなもん)だったので
「いいかげん、もう最後にしよう!今年は優勝以外いらない!!」
という想いで、周囲にも伝えずに出場しました。
手ごたえとしては、3位以内は入っているはず。
結果発表の日
名古屋から北九州に帰ってきて、月曜日、今年はオンラインでのリアルタイム発表でした。
オンライン式典でアナウンスが流れます。
「レストランサービス部門、敢闘賞は該当者なし」
「3位、福岡県代表 寺井剛史さん」
あ~~、終わった・・・
ここで名前が呼ばれるとは思っていなかった。
ショックでした。
正直、回を重ねるごとに劣等感に苛(さいな)まれます。
初出場の2011年、受験者の中では最も年少者の1人でした。
周囲は関東関西のシティホテルの面々の中、3位はすごく嬉しかった覚えがあります。
しかし、10年経った今、もはや年長者の1人。10年前からの選手は私のみ。
何度やっても優勝できず、これだけ挑戦してもダメってことは実力として3位相当なのだと思いつつも、本当に自分の限界、100点満点を目指したかどうかという自身の努力不足も毎年毎年反省させられます。
若手選手にとっても、3位にしかなれないおっさんがずっと邪魔するのも良くないと考えるし、うっとうしいとも思われるだろうなとか考えます。
一番、精神的につらいのは、(過去の優勝者は審査委員となって運営側に回っていらっしゃるのですが)、出場するたびに一緒に戦った仲間に審査員としてお会いすること。
本当に自分があちら側に回れない不甲斐なさ、無力感を感じます。
本当に劣等感ですね。
もう一度だけ挑戦しよう!
10年の挑戦。3位、3位、敢闘賞、そして今回も3位。
もう終わりかな。そう思ってはいたものの「かな」のまま数カ月が過ぎました。
オリンピックでは、どうしても悔しい結果になった選手の方に共感をしてしまう自分がいます。
そんな中、内村選手。
オリンピックは無理という状態から、驚くことに代表選手に。
本当にすごい。
そして、落下。
ご自身でも言っていた「(米倉選手に)土下座して謝りたい」の気持ちも痛いほど分かります。
そして、「僕が見せられる夢はここまでじゃないかな」とオリンピック挑戦は終わりを見せながらも、「引退は永遠にしないかも。いつ引退するとかも考えてない」
偉大な内村選手と自分を比べることはおこがましいですが、自分は夢も見せられていない。別にケガもしていない。
今回で終わったら、多分、一生「どうせ俺は3位」と思って生きるだろうな。
挑戦する内村選手はカッコいいし、挑戦し続けているサッカーのカズだってそうです・・・とカッコ悪くしがみつく自分を励ますことにします!!
45歳、今は次回もエントリーするつもりです!!!
1位になるまでやる!
たぶん、そのうち私を落とすために、運営側は年齢制限を設けることになるでしょう。そうしたら、寺井ルールと語り継いでもらうことにします(笑)
コロナ渦のなか、経営者として事業も苦しいので、こんなこと書いていても次回はエントリーできていないかもしれませんが、3月からずっとモヤモヤと思っていたことに、誕生日で区切りをつけることにしました。
今日は娘が到津の森の林間学園に行きました。
息子は小1から小6まで。娘も昨年はコロナで休止でしたが、小1から毎年行っています。
確か、毎年2人で行っている写真を撮っています(FBにもUPしているかな)。初の娘1人の写真。今年で終わり。
6年間毎年通った2人はカッコイイです。
父も負けないように頑張ります。